鶴橋の歴史など。なんで韓国系?

鶴橋についてのあれこれ
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

大阪・鶴橋のコリアタウンは、いつ訪れても観光客で賑わいを見せています。焼肉店や韓国食料品店、チョゴリを取り扱う店舗などが集まり、韓国の雰囲気を色濃く反映したこの地域は、多くの人々に愛されています。

大阪環状線鶴橋駅の西側には、美味しい焼肉店や韓国料理店が立ち並び、東側には食料品店や韓流ショップが軒を連ねています。市場は特に古くからの雰囲気を色濃く残しています。

鶴橋の在日の人は済州島出身の人が多い。

現在の在日韓国・朝鮮人の多くが済州島出身であるとされており、この島は韓国の最南端に位置しています。美しい観光地でありながら、済州島は過去に二度の悲劇を経験しています。一つは1948年の済州島虐殺事件、もう一つは1950年の保導連盟事件に連動した弾圧です。これらは日本人にとっても無関係ではなく、私たちの歴史の一部です。

済州島の虐殺の背景には、第二次世界大戦後の朝鮮半島の政治的状況があります。南北に分断された朝鮮半島では、南部の李承晩と北部の金日成が、それぞれの勢力を築きました。李承晩は南部だけで国家樹立を目指しましたが、これに反対する勢力も多く、統一を望む声が高まります。そうした中、李承晩政権は反体制派に対する弾圧を行い、ヤクザを利用した暗殺や恫喝が行われました。

この暴力的な政策は、李承晩の政権基盤の弱さから来るものでした。そして、1950年の朝鮮戦争の勃発により、さらに済州島での弾圧が強まり、多くの人が命を落としました。そうしたことがらはコリアタウンを形成することになる在日韓国人・朝鮮人に大きな影響を与えたといいます。

闇市からはじまった鶴橋周辺のコリアタウン

鶴橋駅周辺は戦前、商店が点在する静かな地域でしたが、太平洋戦争中には空襲から逃れたものの、防火のために「建物疎開」政策によって多くの建物が取り壊されました。終戦時には空き地が広がり、これが闇市が立ち上がるには絶好の機会となりました。この闇市は当局の摘発を受けつつも生き延び、発展し続けました。

また、近くには戦前から在日コリアンのコミュニティが形成されていました。朝鮮半島から出稼ぎに来た人々が多く、戦後の混乱で帰国できなくなり、日本に留まることになった人も多くいました。このコミュニティは現在の生野コリアタウンへと繋がっています。

鶴橋のコリアタウンは、そんな韓国の戦後史を物語る場所として、今もその歴史を伝えています。

タイトルとURLをコピーしました