御幸森天神宮

寺社・名跡・名所
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御幸森天神宮はコリアンタウンの入り口にあり、鶴橋のえべっさんで十日えびすには人が多く集まります。

由緒

猪飼野(いかいの)、古くは猪甘津(いかいつ)と呼ばれた地は、古代において難波の入江の港であり、猪を飼育する官職である猪甘部が住んでいた所として知られていました。『日本書紀』仁徳天皇の14年の記述によると、この地に「小橋」と名付けられた橋が架けられたことが記されており、これは文献に残る日本最古の橋であるとされています。

仁徳天皇は難波に都を定め、鷹狩りをするなどの際に、現在の東住吉区あたりに住む百済からの渡来人たちの様子を視察するために度々この地を訪れ、休息をとられました。この由来から、その場所は「御幸の森」と呼ばれるようになりました。天皇の崩御後の406年には、人々がこの森に社を建立し、天皇の神霊を祀ったと伝えられています。この社は「御幸の祠」や「御幸宮」と称されました。

時が流れ、850年頃にこの地域で疫病が流行した時、当宮の社僧である大蔵院行綱が京都五條天神社で祈願を行い、少彦名命の神霊を勧請し奉斎したところ、疫病が治まったとされています。以降、この社は「天皇天神社」や「天神宮」とも呼ばれるようになりました。

また、玉造清水谷付近には忍坂彦命を祀る社がありましたが、大阪夏の陣で失われた後、松平忠明により当宮にその神霊が奉遷され、旧平野川中洲の地3000歩と灯明台1基が寄進されました。

昭和43年(1968年)には境内の椋の木5本が大阪市の保存樹となり、平成12年(2000年)には本殿・幣殿・拝殿・透塀が国の登録有形文化財に指定されました。平成18年(2006年)には創祀1600年祭が斎行され、社殿の屋根替えなどの記念事業が行われました。

祭神

少彦名命(すくなひこなのみこと)

日本神話において大国主命とともに国造りを行った神様です。非常に小さい親指ほどの大きさの神様で、後の世に「一寸法師」として知られる人物のモデルになったとも伝えられています。医薬、温泉、おまじない、酒造りの神様として広く崇敬されています。

仁徳天皇(にんとくてんのう)

慈悲深い聖帝として知られており、民の苦しみを軽減するために三年間の課税を免除するなどの政策を行いました。また、質素倹約を旨としており、大変尊敬されています。仁徳天皇は大阪の治水と灌漑事業の始祖とされています。

忍坂彦命(おしさかひこのみこと)

第三十代敏達天皇の第一皇子として誕生しました。大坂夏の陣で戦火に遭遇した清水谷の社の忍坂彦命の御神霊を、松平忠明公が当宮に奉遷したと伝えられています。これらの神様たちは、それぞれの分野や出来事において重要な役割を果たし、日本の歴史や文化の中で大切にされてきた存在です。

住所:大阪府大阪市生野区桃谷3-10-5

営業時間:社務所は9時~17時

電話:06-6731-2816

URL:https://miyukimori.net/

     
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